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date :2015年07月16日

ハナちゃんのこと

ハナちゃんは5月30日にはちねこに持ち込まれました。
仕事をしているので、乳飲み子は育てられないということで預かりました。
保護主は、昨年もはちねこに乳飲み子を預けました。昨年の経過に詳しくはないのですが、ハナちゃんは家の前に捨て猫された、ということでした。
ですので、今後、捨て猫をされないように、お家を外から見たときに、お皿など餌やりの痕跡を見せないこと、ハウスも置くなら、コンテナをくり抜くなど一見してわからない方法があることなどをお話ししました。
ハナちゃんには、その時見ただけで「おかしい」と、私やてんてんさんが気づくほどの障害がありました。
なので、預かりのその日に、猫小児科に行き再診していただきました。おそらく、小脳に障害があり歩行が困難な状態で、治る治らないというものではなくて、生まれつきのものであるとのことでした。

離乳期になり、てんてんさんが保護主さんに引き取りの打診をしましたが、本日までに引き取りの連絡はいただいておりません。
状況からしたら、ハナちゃんは「置き去り」にされていると言うことが出来ると思います。




障害があるこを目の前にしてたじろがない人は滅多にいるものではないと思います。
そんな人、乙武さんのお母さんぐらいしか知りません(笑)。
障害に慣れているハズの私であっても、どうやったら育てることが出来るんだろうか、と不安になります。
ハナちゃんは今後どうなっていくんでしょうか?どうしてあげたらハナちゃんは幸せなのでしょうか?
まず、ハナちゃんは誰が育てるのでしょうか?私でしょうか?




私はこの十数年ずっと、障害のあるこについて考え行動してきました。
否・・・、その前から、私には足に障害のある実の兄がいますので、物心ついたときには、「障害」のある世界について考え行動してきたことになります。

私は「障害がある」ことについて理解したふうを言う人が大嫌いでした。
小学校の運動会で、学年徒競走を大幅な時間超過のビリで、ゆらりゆらりと走ってくる兄に大きな声援と拍手をする人達が大嫌いでした。
障害がある、ということはしんどいことです。個人にとっては戦いです。投げ出したらそれで終わりです。だから、諦めずに努力し続けるのですが、しんどい話なのです。体も心も痛い思いをしながらも続けるのみです。
不自由に感じなければそれでもかまいませんが、障害があることで悔しい思いがあるのならば、克服したい、と望むのは自然な気持ちであるはずです。そういう意味で、障害があるということは常にチャレンジングであることになります。
それは、負わなければなかなか理解することが難しいことの一つだと思います。
理解すればこその、怖さや恐ろしさ、苦しみや労力を知っています。
だから、たじろいでしまいます。





ハナちゃんを育てるのは誰ですか?
私が今、言えるのは、「自分がハナちゃんを置き去りにする三番目の人間にはなりたくない」、という意地です。
意地でありやせ我慢であり、怒りであり見栄であり、何でもありです。
いつもそんなふうに、巻き込むのか、巻き込まれるのか、私の人生には「障害」がやってきます。
神様は私を自由にしたくはないのでしょうか(笑)。あそこに「空き」が出たわ、と届けられるのでしょうか(笑)。





私はベン・シャーンという画家が好きです。
中学生の頃、絵の教科書に図版が載っているのを見て以来、ずっと好きです。
彼の絵にLIBERATIONという作品があります。
簡単にここに図版を持ってくるわけにはいかないのでお見せすることはできませんが、戦争で崩れた家をバックに、回転ブランコでビューンと回る三人の子供が描かれている絵です。
吹き抜ける澄んだ風や止まらない回転ブランコのスピードが私には感じられて、とても印象深い作品です。
私が、人生ってこんな感じだ~と思う、一枚の絵です。

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