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date :2017年03月01日

「いる」という表現

もうずっとずっと昔のことなのだが、忘れられないでいる「会話」がある。
それは私が美大生だったころ、何のレポートだったか覚えてはいないのだけれど、「アールブリュット」に関する調べものをしていて、大学図書館の窓口で資料請求のメモを出したときの会話、

「ああ、アールブリュットね、そういうのやっても売れないよ~」

窓口の図書館員は、私に何を思ったのか、アートマーケットかなんかの調べものをしていると勘違いしたのか、私の請求資料を「所蔵してない」と答えるついでに、そう言い返したのだった。
私はその言葉に、なんだかとにかくグワっと腹が立って仕方なく、そうしてこうして今でも忘れずに腹を立てている(笑)。




人知れず 表現し続ける者たち

Eテレで先日、「アールブリュット」とも「アウトサイダーアート」ともいわれる、「特に芸術の伝統的な訓練を受けておらず、名声を目指すでもなく、既成の芸術の流派や傾向・モードに一切とらわれることなく自然に表現した作品」(Wikipediaから引用)を制作し表現し続ける人たちについてのドキュメント番組が放送されていた。※2017年3月4日(土) 午前0時00分Eテレで再放送

私は、にゃんこのご飯も出し忘れるくらい真剣に録画に見入ってしまった。(結果、早くご飯をくれ!と噛まれた)
60分間の濃い番組内容の中で伝わってくることはいくつもあったのだが、私はこのとき、「いる」という表現という画面テロップの言葉に強く心動かされた。
彼らが黙々と作業するその「作品」に、「作品」であるという価値をつけることすら、必要ないと感じた。

その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として

※ (ぼくが ここに/まどみちお) より一部引用

まどみちおの詩が心に思い起こされて、本当に「いる」ことこそが、表現であり存在そのものであり尊い「彼ら」という作品なのだと思った。





多分、私が保護猫活動を色々あっても何とか続けていこうとするのも、同等の心の動きなんだと思う。

ガラスケースにディスプレイされる何十万円のナントカ種の子猫に罪はないが、価値ってなんだろう?と腹が立つ。
他人が欲しい欲しくない、という需要で作っていく「価値」というもの、一方で「価値」がないと判断され殺処分を待つ子猫が鉄の檻の中で震える現実。
本当は、「いる」だけでどんなにか価値があるというのに、すべては存在するだけで大切なことを表現しているはずなのに、どうしてこのことがあまねく伝わらないのだろう?
私は野良猫を、「雑種だから、欲しがる人がいないから、価値がないから」と考え、粗末に扱う人が大嫌いで許せないのだ。
平等であるはずのたった一つの命の存在に、存在の表現に、売れる売れないなんて価値観を付け加えることなど、勘違いも甚だしい。
この怒りはまったく、冒頭に書いた美大生だった頃の私の怒りの本質だと思う。

我が家の猫たちで例えよう~(笑)。
賢くて母性愛にあふれた面倒見のいい「もも」に比べて、「ひなた」は、うんちテロリストでおしっこテロリストで腰椎が一本足りてない、本当、ネジが一本足りてない猫である。
しかしながら、しかしながら、ひなた一匹がどんなに我が家にとって大切な存在か。
くれ、と言われてももちろんあげない。
返せ、と言われてももちろん返さない。
「いる」だけで、どんなにか素晴らしい猫、それがうんちテロリストでおしっこテロリストで腰椎が一本足りてない「ひなた」である(笑)。



もしタイムマシンが完成した世の中になったなら、是非、あの日に出かけて行って、ひよっこ美大生に代わり図書館員に言い返そう!!
『いる、という表現のまえに、あんたのお眼鏡に適う価値観なんて、い・ら・な・い』
ちっちっ、オバサンは啖呵を切るぜっ。


KIMG0612.jpg

ぴな太郎、あんた、うんちテロリストでおしっこテロリストだってこと、みんなにバラされたわよ~
え、・・・・・・・・・・・・


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