ねこと話し~ねこの話

保護猫活動をしてみて思うこと考えること

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再び考える

あちこち春の花が咲き始めて季節は一気に色めいてきましたね。
で・・・・、
はちねこは一番頭の痛い時期に突入。
電話もじゃんじゃん鳴って、「ひきとって」「ひきとって」「ひきとって」・・・。

色々なケースがあります、毎年毎年。
子どもが拾い猫して、一生懸命何とかしようと奮闘している話からの「手助け」としてのもの、
ご高齢の餌やりさんの「産まれたから持って行ってちょうだい」という「身勝手」なもの、
通行人からの「公園に段ボール箱があって中に子猫が」という「通報」のようなもの、色々様々~。

中には依頼の話を聞いているだけで、こちらとしては怒りの感情を抑えきれないような一方的な話もあります。(これは一年中のことですが・・・)

いちいち腹を立てていても仕方がない、ヒトを助けるというより猫を助ける、と考えて行動を起こしますが、毎年毎年こんな展開を繰り返していると、つい、はたして私たちのやっていることに建設的な意味はあるのか??という疑念が湧いてくる時もあります・・・。

でもでも、
意味はあるはずだよ
と、何かを振り絞って気持ちを建て直します・・・。

そのような時、それぞれのボランティアさんのそれぞれだと思うけれど、私の場合はとことん考えることにします・・・。
私には、他のスタッフさんと違ってあんまり機動力はないから(笑)、せめてアタマの中で繰り広げたり繋げたり結んだりして、考えて考えて伝えることを頑張ります・・・。

以下はその頑張って考えたことの一つ。
書き始めてから、書きかけのままでけっこう時間が経ってしまい、今頃の推敲でスミマセン。
テレビで見たことの時事ネタのつもりが、再放送も、とうの昔に終わってしまいました(汗)。








集団虐殺について、再び考える・・・。
前回はこちら↓
地域紛争について勉強したよ

先日、Eテレで放送があった番組で
ダイアモンド博士のヒトの秘密 第十回「集団虐殺はなくせるのか」
は、その内容がとても興味深いものでした。

内容をざっとまとめると(私の考えも含みます~)

過去の戦争や紛争では、集団虐殺(ジェノサイド)と呼ばれる「同じ種である人間を抹殺しようとするこの残虐な行為」が度々行われてきた。これは人間が動物から進化する中で引き継いできたものではないか、とダイアモンド博士は考える。人間同士の争い。ヒトの歴史の中で繰り返されてきたこの行為を無くすことはできないのか?

ざっと20世紀以降でも、ナチスドイツのユダヤ人虐殺、オスマン帝国のアルメニア人虐殺、ルワンダ、ボスニア紛争など集団虐殺は世界のどこかで繰り返されてきた。
ダイアモンド博士は動物からヒトへの繋がりを観察してきた中で、動物の世界でもチンパンジー、ライオン、ハイエナ、果てはアリまでも他グループを虐殺していることを指摘する。
人間の集団虐殺は動物から引き継がれた本能的なものではないか?
ヒトは有史以来、中世、近世と、異なる宗教の信者、異なる民族、異なる政治理念の持ち主、などの理由によって集団虐殺をおこなってきたが、しかし、実は現代国家の方が、虐殺や戦争による死者の割合が中世国家のそれと比べて低い。死者の絶対数は増えているが、人口に対する集団虐殺での死者の割合は低下している。
その理由の一つとして、現代国家の国民には殺人をするなというモラルが存在し、戦争下という許可された状況での殺人であっても、そのモラルの刷り込みによって兵士はPTSDを引き起こしたりもする。
ヒトにヒトを殺したくない、という意識が無意識的に定着してきたのではないか?現代社会に殺し合いが続いているとしても、人口に対する集団虐殺の割合は少しずつ減っている。
したがって若干、未来に希望はあるのかも知れない。ヒトは本能的に引き継がれてきたものであっても、意思によって少しずつ書き換えることが出来るのではないか。





猫の話に飛ぶ。

一昔前ざっと数十年くらい前には、一般的に野良猫の命は軽く思われ扱われていたと思う。
家の近辺で生まれた子猫を親猫から取り上げて川に流し数を増やさないようにしたり、野良の存在が目立って近隣のトラブルになると保健所に通報し処分させたりということも、普通に社会にはままある行為だった。
今はどうだろうか?
子猫を川に流したらむろん、それは動物愛護法で犯罪行為、保健所に野良猫の処分依頼の通報があっても、職員は捕獲機持参で確保には来ない。
今の常識では、野良猫は「飼い主のいない猫」として避妊去勢手術の後、地域猫に移行、管理され一代限りの命を全うできるようサポートされることが望ましい、その命を可能な限り尊重し見守ることが、地域行政としても推奨のモラルとなっている。(全てのヒトの常識ではないけれど・・・)

私達オバサン達が子供の頃は、「地域猫」「保護猫」なんて言葉は知らないし聞かなかったと思う。
しかし今は違う!
かなり多くの普通の人たちがその言葉を知っているし、活動のことも理解していたりする。
しかもなんと、その理解の伝播はかなり速く広い。数年前くらいの単位で「あんまり理解されてはいない」ことが、今では「理解されつつある」。

だから、いつか「goal zero」が叶う日があるかも知れないと思う。
私達猫ボラの、「I Have a Dream」が叶う日があるかも知れない。
言い続けること、伝え続けること、で、
未来に希望はあるのかも知れないよ。




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